ご都合主義
2011年6月1日 メンヘラおばさん(短期連載)旦那さんが亡くなってからなのよね、
アナタが急に<私が世界で一番尊敬している人>とか、
<私が誰よりも尊敬しているのはあなた>だとか、
<この世で私が最も尊敬している人>だとか言い出したの。
亡くなった人を都合よく整理して、美しく切り取った
想い出話をまるで気の効いた事みたいにあちこちに書いて、
一体どれだけデリカシーがないのか。
随分、薄っぺらぺらな尊敬だことね・・・いやはやホント、
尊敬にも色々な種類があるのねぇ?
悲しみがないと言っているわけではないの。
でも、自分が長年してきた背信や、この場所で何をどんな風に
綴っていたのかを考えれば、軽々しく‘尊敬’だなんて書き
散らさないのが利口というものじゃない?
というより普通とてもそんな風には書けない、幾許かでも良心と
自覚があれば・・たとえ、亡くなった途端にお安い尊敬の念が
俄かに湧き起こったとしてもね。
それからね、
<考え方は人それぞれ>とか、<価値観の違い>だとか、
<人は自分の事も解らないのに他人の事が解るのかしら?>とか、
<ありのままの自分>だとか<自分に正直でいたい>だとか、
<私らしさ>だとか、<何が常識かなんて誰にも判らない>とか、
本当にミットモナイすり替えと都合の良い解釈がお好きよね?
それに他人が見る自分の姿って割と大事じゃないかと思うけれど?
中学生じゃあるまいし、自由とか個人だとかの履き違えみたいな事
ばかり書いて自らを正当化して、読んでいるこっちが恥ずかしい。
世の中には理屈ではない、好ましいモノの考え方というものが
大方存在してるでしょうに。
人それぞれなんて言葉は基本、飽くまでも社会通念的な良識に
基づいて認識するものであって、アナタみたいにはなからそれと
相反する考えを肯定する為の都合の良い言い訳と、お慰めの理由に
使うものなんかじゃない。
尤も、解っていない訳じゃないのよね?・・己の姿を認めたくない
ばかりの病的な自己防衛なだけで。
コメント