いやいや、
 
 ただ単に、境界線を引いているだけの話。
 学問を日常に持ち込まない、それだけ。
 特に、インターネットなんぞに於いては。
 それが、学者としての苛立ちを回避する
 唯一の手段。
 
 それがどんな意味を持つのか理解できない輩は、
 とどのつまり、一流の学者じゃないってこと。
 

1月3日の日記

2011年1月3日 日常
1月3日の日記
 哲学科の学生の自主的な個人補習の指導の話がきた。
 何人かの学生とコンタクトを取った後、担当教授に
 断りの連絡を入れた。
 初々しい光を放つ子は見当たらなかったから。

 学生は皆、一々理屈っぽくて一丁前のつもりで謙虚さの
 欠片もなし・・好奇心とはまるで違う背伸びが実に鬱陶しい。
 当然の事ながら己は未だ無知なのだ、と言う自覚も皆無。
 この手の学生は得てして大成したためしがないし、又、
 何者にもなれない場合が殆んど。
 私は自分がまだ何も知らないという自覚のある学生でなければ、
 そもそも相手にしたくない。
 この道は、元々自分は精神的心理的に長けていると思い込んで
 いる輩が興味をもって入ることが多いから、真に性質が悪いのだ。
 実に幼稚で未熟・・それでも、まぁ幾許かでも素直さがあれば、
 まだ救われるのだけれども。
 特に学部生は苦手だ・・・最低限、修士課程に籍を置いている
 学生でなければお話にならない。
 修士になれば、少なくとも身の程知らずな学生はかなり減少して
 いるのが常だから。

 ここでも何度か書いたが純粋数学と違い哲学・思想は才能や力量の秤が
 明確でないし、望めば努力次第で誰でもこの道に入ることが出来る。
 だから、阿呆な学生ほど余計に自信満々で身の程知らずだ。
 何故なら、才能というものを知る才能がないだけに、自身を天才だと
 思い込んでいるから。
 その道にいれば誰でも承知している解釈を、まるで己のみが知る事実の
 様に振舞う・・嫌だ嫌だ。
 それに、若輩の私を指導者だとは嫉妬心から容易に受け容れたがらない
 様子の目上の学生を相手にするのも度台無理な話。

 でも、一人だけ現象学をやっている女子学生は真面目でちょっと応援
 したい感じだったな。
 私の気持ちにもっと余裕と教える才能があれば目をかけてあげられるのにね。
 
ざんばらばらばら
          

 
 それは単なる、数多ある、数学的な誉れに過ぎない。
 ツナガリを見い出せなければ如何なる証明も、
 それは唯の勲に過ぎないのだよ。
 真に偉大な証明とは・・・。

 なんて、尤もらしい事なら三流の学者でさえ言ってること。
 ・・・真の意味も知らずにね。
人心地
 
 とある文章に目を通していた時、その言葉に目が釘付けになった。
 ・・暫し無言で凝視した【人心地がつく】という何気ない言葉。
 
 これ、だったのか・・・。
 かれこれ6,7年にもなろうか、一度も味わえずにいたものの正体。
 こんな得も言われぬ重度の離人感も、このありふれた言葉をもっと
 早くに目にしていたならば、きっとこの世とも多少はしっくりして
 こられただろう。

 人より早く積学したり、大病したのが理由ではない。
 何か重大な罪を犯した人間・・人を殺めてしまったり、思いがけず
 誰かの人生を台無しにした様な人間が、きっと似た様な感覚で生きて
 いるのだろう・・・ただ漠然とではあるが、いつもそんな風に考えて
 きたのだが、さても人心地がしないとは何とも言い得て妙。
 

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遠隔(PCと電話)で家庭教師をしている私の生徒の一人の話・・。

まぁ、生徒といっても私より若干年上の彼なのだが、理論物理から
鞍替えして純粋数学者を目指すという無謀。逆ならアリなのだけど。
本人は全く自覚していないのだが、時折ちらりと覗かせるある種の
数学的な思考を垣間見る度に資質がないと感じる。
物理では前途洋洋だと紹介者から聞いているし、過去には両親と同じ
医学の道も考えたらしいが、努力で叶う道には興味が湧かないらしい。
どうやらそんな性質も手伝ってか純粋数学に魅せられ憑りつかれ・・、
敢えて茨の道を選ぼうとしているらしい。

何れにしても遅かれ早かれ彼がこの分野で挫折するのは目に見えている。
恐らく数学のキャリアは一学生として終えるだろう。
物理ならば好きこそもののなんとやらで何とかなるし現実的だから本業は
そちらにして、悪いことは言わないから純粋数学は一マニアとして高尚で
深遠なる趣味として続けるのが無難。
元々物理では世界トップの場所に籍を置いていた訳だから、そこで究め
ればいい・・さて、どう伝えたらよいものか。
どちらにせよこれからの事を今一度改めて話し合うべき時か・・でないと、
教える側の私の身が入らない。

確かに本人が恐らくそのことによって強く刺激された様に、純粋数学は厳密に
言うところの自然科学や医学とは違って、努力や好奇心だけではどうにもなら
ない、素質があるか否かで道に進めるかが決まる。
つまり生まれ待ったセンスがあるか否か・・ある時点からどんなに努力しても
どんなに好きでも、それだけでは到底補うことのできない、その道に進むこと
すらできない、唯一の学問。
そしてそのセンスが純粋数学者としてのそのままの力量・・といっても過言
ではないので、唯、数学が好きだという気持ちや、義務教育時に浴びてきた
羨望などの数学的栄光などが選択理由では必ず行詰まる。

 
実際、興味があれば純粋数学者が応用数理科学の凡そを理解できない
事はない。
純粋数学者がそれを軸に、他の自然科学や哲学や医学その他の分野を
修めるという事は自身を含め間々あるが、その逆は殆どない世界なのだ。
その事は既にやんわり伝えているも、いたく前向きだからか今いち通じて
いない・・・いやはや中々面倒ではないか。
こんな風に、そこいら辺をいまいち理解できていない物理屋さんが多過ぎて
心底驚いてしまう・・・まぁ、ピュアマスに生き残れなかっただけのクセして、
強がりながら離れてゆく応用さんよりはまだいいけど。
 
実際、彼の数学力と学ぶ意欲や好奇心があれば、物理やコンピューター、
理論経済でなら名だたる施設に身を置き続けることは可能だろう。
無論、これは純粋に学問としての話だから・・・その人間的な資質だとか、
実務的な器量だとかとは、まぁ全く別の話だけれど。

 
※純粋数学を突き詰めて考えた場合の話で、
 他の学問を見下すものではありません。

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